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「亀井文夫作品集 1957年制作 原水爆実験後の日本の実態」

ツイッターで知りましたflair
長いので、分割して見ました。

この映画は、見た方がいいです。


「世界は恐怖する 死の灰の正体
亀井文夫作品集 1957年制作 原水爆実験後の日本の実態」

「原発問題」さんのブログに貼ってありますので
↓こちらをクリックして下さい。

http://george743.blog39.fc2.com/blog-entry-1107.html

動物実験、広島、長崎で被曝して生まれた奇形児の映像もあり
今だったら、モザイクしないと上映できないだろうなと思う箇所もあります。
動物実験は、痛々しいし、人間のために申し訳ない・・・と思います。

アメリカ・ソ連の冷戦時代の
核実験の影響は、かなりのものがあったのですね。

この頃は、放射能の危険性を
多くの人が分かっていたようです。

遠藤ミチロウさんライプ♪

水俣のおれんじ館での
遠藤ミチロウさんのライブに行ってきましたnote

初めて聴く雰囲気shine
放送禁止用語などもありつつcoldsweats01
しっとりした曲もありつつ、
あっという間の2時間半でした。

あの叫び声?はどうやって出すんだろう~?

遠藤さんは、福島県出身。
今回の原発事故現場から50キロくらいに
実家があるそうです。
線量を計ると、かなり高いそうですweep
避難区域にはなっていません。
50キロまで広げれば、150万人の人が
避難しないといけないらしく・・・。

そして、土地を離れるというのが
やはり長年、暮らしてきた方は、本当に辛い事で・・・。

今、日本で動いてる原発は、4基になりました。
原発さん、お疲れ様sign01で、終わりにしましょう。

Cimg1315

「母親たちの反核運動~3000万の署名、大国を揺るがす 」


YouTube: 母親たちの反核運動~3000万の署名、大国を揺るがす


今夜は、この動画を見ました。
日本人の女性から始まった署名活動。
それが世界を動かすきっかけにshine

このころは、まだマスコミが機能していた感じを受けます。
第五福竜丸の乗組員の方の症状を伝えたり、
新聞の投書で、いろいろと意見交換が出来ていたり。

現在、ガンが死亡率1位ってのは、
この頃の被曝が原因のような気がする。

ビックリした動画

最近知ったのですがsweat02
数年前、警察の裏金問題が新聞をにぎわしていましたね。
警察も悪いヤツがいるもんだな~と思っていたのですが
すごい事実があったのですね。


YouTube: 警察の裏金の使い方はこんな風に使われてる!

お話されている仙波さんは、警察現役の時に
裏金の事で内部告発をされた方です。

詳しくは、こちらの動画を。
すごい精神力だと思いますshine

仙波敏郎5-1.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=6ceWpw7CChI&feature=player_embedded

仙波敏郎5-2.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=nGdd_cA9OBc&feature=related

仙波敏郎5-3.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=k5fg3XxMjTY&feature=related

仙波敏郎5-4.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=I5_0LjGUJ8A&feature=related

仙波敏郎5-5.wmv
http://www.youtube.com/watch?v=DzKBfXPWDCo&feature=related

1991年 六ヶ所村にて

FBで知りました。
記事を書かれた方に、許可をいただいたので
ブログに貼らせていただきます。

20年ほど前、アメリカ先住民の方々と
日本の心ある方々とが、六ヶ所村に集まり
それぞれ祈りをささげたそうです。

何年も、何十年も心を痛め、
動いて来られた方々が、いらっしゃったのですね。

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今から20年前、六ヶ所村の核燃料再処理工場へ核燃料が運ばれる直前の
1991年に オノンダガ族 、ナバホ族、カナダ サスカチワン州 ディネ族 
母親がスー族のトム・ラブランクなどのアメリカ先住民が来日して六ヶ所村にあつまった。

それからすでに故人になられた高木仁三郎(原子力資料情報室)山尾三省(詩人)、1999年に亡くなったホピ族長老で最後のメッセンジャー トーマス・バンヤッケ、それから今年他界したホピの予言の宮田雪監督がいた。

私たちは青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場前まで行進し
それぞれのやり方で祈りをささげた。

山尾三省は詩を朗読し
キリスト教の岩田牧師は祈り
日本山妙法寺の島貫上人が立正安国論をとなえ
禅の僧侶が般若心経を読経
出口王仁三郎の孫婿が神道の祝詞をとなえ
ホピ族長老トーマス・バンヤッケが
東西南北の方角に聖なる祈りを捧げた。

ホピ族長老トーマス・バンヤッケ
1991年六ヶ所村でのメッセージ

「日本の人々は私たちホピの兄弟姉妹だと思っています。私はウランの廃棄物の心配をしています。私たちホピの聖地から取り出したウラン鉱物資源の
誤った使い方をしている為に非常に危険です。止めなければそれは自らを滅ぼすでしょう。日本のみなさんは広島・長崎であのウランがもたらす恐ろしさを体験しました。ですから日本の皆さんは命の道を世界に示さなくてはなりません。」

トーマス・バンヤッケの国連での演説。

「個人として、あるいはひとつの国として、世界の総体として、あなたはこの地球の世話をするためになにをこれまでやってきたでしょうか? 今日の地球において、人間は公害と称して自分たちの食べものや水や空気の中に毒を入れています。子供たちを含むわたしたちの多くが、飢えたまま放り出されています。たくさんの戦争がいまだにつづけられています。強欲と物質的なものに対する関心は人類に共通の病気なのです」

「選択は、わたしたちにまかされています。もしもあなたがたが、地球の国々が、つぎに世界を巻き込む大きな戦争を作り出したら、人間は自分たちを灰になるまで焼き尽くすだろうことが、ホピにはわかっているのです。自然はそれ自体では私たちの耳に届くような声を発することはありません。わたしたちがじきに絶滅させようかというところまで追い込んでいる鳥たちも動物たちも、同じことです。いったいこの世界においては誰が、自然のために、そしてすべてのいのちをつくりあげて、それらのなかを貫いて流れているスピリチュアルなエネルギーのために、声をあげられるというのでしょうか?」

「動物たちや鳥たちですらが、まつたく奇異な振る舞いをとおして、わたしたちに警告しています。鯨たちが砂浜にのりあげたりするのはなぜでしょう? 動物たちはみな地球の問題がわかったうえであのような行動に出ているのに、人間たちのほとんどがなにも知らないかのように行動しているのはどうしたことでしょうか? こうした警告を受けて、わたしたち人類が目を覚まさなければ、今の世界を破壊するための偉大な浄化が訪れます。前の世界は同じ理由で破壊されたのです」

http://native.way-nifty.com/native_heart/
より

http://www.youtube.com/watch?v=bAn_GDrMEaI

青森県では知事選が行なわれる直前であり反核候補が当選すれば再処理工場を止められる可能性があったが推進派が当選した。

今、六ヶ所村の村民の平均所得は青森県で連続トップになっている。
原子力が支える村 
http://www.youtube.com/watch?v=0ObbLdC0Kjg

核のゴミ抱える村 青森・六ヶ所村 http://www.youtube.com/watch?v=JWmONP30oLU

「長崎被曝米のおはなし 」


YouTube: 長崎被曝米のおはなし

長崎で被爆したお米を
ずっと作り続けてる方がいらっしゃった。
66世代を経ても、遺伝子損傷の影響が出て
実が半分くらいしか出来ません。
66世代・・・人間だと1500年だそうです。

「絶対原子力戦隊スイシンジャー 」


YouTube: 絶対原子力戦隊スイシンジャー

尾米タケル之一座 反原発コントフェス作品


悲しいけど、おもしろいです。
ぜひ、ご覧くださいeye

1/15放送 NHKスペシャル「知られざる放射能汚染~海からの緊急報告」

NHKで放送されてた番組の動画を
「ざまあみやがれい!」さんのブログに貼ってありました。
海のホットスポットは、流れによって変化するようです。
東京湾も約2年後、汚染される予想です。
約50分の番組です。

http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65785818.html


東京在住の方が、内部被爆の検査をした結果、
放射能物質が検出されたそうです。
コピペさせていただきました。

『すべては「気づき」』
「私の体からウランが検出されました-東京在住」
http://sekaitabi.com/bodycounter.html


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京都目黒区在住の方が内部被曝の検査をしたら、体内から各種放射性物質が
検出されたとのことでした。そこにはウラン、ストロンチウム、ジルコニウムを含みます。

こちらより転載

いうことで、セシウムがNDでよかった とホッとしたのもつかの間、ウランの数字が許容範囲(Acceptable Range)のトップの数値でした。

担当のお医者様に伺ったところ、本来は特殊な環境でお仕事をしていない限り普通は見つからないであろう放射性物質のひとつであり、有毒だとのことです。

私は、皆さんご存知のとおり潔癖症で、三重県より西、いえ ほとんどが九州産の野菜を買い、米は先週まで 2010年のものを食べ、ほとんど外出時はマスクをし、料理も 口に入るものは全部ミネラルウォーターを使っていました。

その私が このザマですわ。

数字が全てを物語っています。各自のご判断にお任せしますが、東京も深刻な状況であることは間違いないということです。

ショックです。はっきり言って。
鉄分を補え!という担当医のご指示通り、暫く努力したいと思います。

以上 ご報告まで。

この資料は ご自由に添付など なさっていただいて結構です!!
(私の名前は写していないので)

————————————————-

この方は東京都目黒区在住だそうで(^^;
小さな子供達が受けた被爆は一体どれ程のものだろうって考えると恐ろしくなります。

(転載ここまで)

————————————————-

首都圏も深刻な状況であることがわかります。

最近の記事で、米国の調査により首都圏にも大量にストロンチウムが降下したことが
明らかになったばかりです。日本政府は隠蔽を続けています。

都内も大量ストロンチウム降下 政府非公表の驚愕事実

「オン・ザ・ロード」


YouTube: 「オン・ザ・ロード」

(1991年バージョン)
編集:宮田雪
曲歌:南正人

Mさんからのシェア。
きつい映像もあります。

ジョン・レノンが、
「世界は狂人たちによって支配されている」
と言ってた意味が分かりました。

変わっていこうよclover

「ドイツ紙:放射線被曝に詳しいジーデントプフ医学博士インタビュー」

とても重要な事なので、
中村隆市さんのブログを転載します。

『中村隆市ブログ「風の便り」』
「ドイツ紙:放射線被曝に詳しいジーデントプフ医学博士インタビュー」
http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-8550

女医デルテ・ジーデントプフは、20年来、チェルノブイリの子供達を療養滞在のためドイツに招聘し続けて来た。彼女は、福島事故に対する措置に、ただただ唖然としている。(ガブリエレ・ゲートレ取材)

***

12月初旬、ジーデントプフ博士は私達取材班を、ベルリン・パンコフの市民公園沿いにある彼女の小さな屋根裏のアパートに迎え入れてくれた。 お茶とクッキーをはさんで、今までの救援活動や経験について語ってくれる。

一番ひどいのは、責任者達がチェルノブイリから何一つ学んでいないことです。チェルノブイリ事故よりもさらに規模の大きい福島原発事故に対する対応ぶりには、私は茫然自失としています。日本政府が避難地区を事故に見合った範囲に拡大しなかったこと、女性や子供達を即座に安全な南部に避難させなかったことに対しては、ただただやり場のない怒りを感じるだけです。そうした適切な措置を取る代わりに、国民はシステマティックに騙されてきました。実際の危険に関する情報は伝えられない、あるいは伝えられても誤った情報である。なんという無責任でしょう。これから日本の方々を襲おうとしている健康問題は想像を絶します。しかも政治と原子力産業はそのことを黙認しているのです! 世界中で!

チェルノブイリの先例を見れば、事故の規模についてはある程度想像が出来るでしょう。多くの人々がチェルノブイリははるか昔のことだ、ウィキペディアで調べられるような過去の事故だと考えています。しかし汚染地域の住民達は1986年から現在までチェルノブイリ事故と共に生活してきているのです。事故による被害は収束するということを知りません。自然災害と違って、原発事故の被害は時間の経過と共に減少していく代わりに増大していくのです。しかもその期間は今後少なくとも300年間にも及びます。このことに関しては後ほどもっと詳しくお話しましょう。(Gesundheitliche Folgen von Tschernobyl, 20 Jahre nach der Reaktor- Katastrophe )」

人々は何十年にも渡って汚染地域で生活してきた

「その前にまず 何故私達が援助活動をベラルーシーで始めるようになったのか、手短にお話しましょう。チェルノブイリ事故による汚染地域の大部分はベラルーシーにあるのです。当時のソ連邦に降下した放射性物質の70%が当時の旧ソ連ベラルーシー共和国に降り注ぎ、国土のおよそ四分の一が放射能汚染されました。ベラルーシーの国境は原子炉から約15キロの距離にあります。

それだけではありません。事故後、風向きが変わって放射能雲がモスクワに向かい始めたとき、ヨウ化銀を用いた人工雨によって、大急ぎで放射性物質のベラルーシー領域への降下が促進されたのでした。もちろん住民には何も知らされませんでした。五月初旬のよく晴れた日、突然空からべとべとした黄色い雨が落ちて来たと人々は語ります。 このことは長年の間住民に明らかにされず、ただ移住が行われ、指令が出され、人々をなだめすかせるようなことが行われただけでした。計測器は厳重に禁止されていました。

特に汚染がひどかったのがゴメルとモギリョフでした。このモギリョフ地方にあるのが、私が20年来足を運び続けている小都市コスジュコヴィッチなのです。ゴメルとモギリョフ両地方は大きな面積が放射能汚染され、約百万人が移住させられましたが、移住を実行するためにはまず大きな都市や区域に家々を建設しなければなりませんでした。ミンスク(ベラルーシー首都)周辺には大きな街が建てられました。新しい住居に移住できるようになるまで、多くの人々は十年間も汚染地域に住み続けなければなりませんでした。そして今でも多くの人々が汚染された土の上に住み、農業に従事しています。

ソ連邦が崩壊した後には、こうした措置の責任はすべてベラルーシーが負うことになりました。私達の「区域」だけでも8000人の住民が移住させられました。26の村が取り壊され、土に埋められました。放射能汚染地域の村々の多くは、空っぽのまま取り残されています。そこには老人達が帰郷したり、町で生活していけないアフガニスタンやチェチェン戦争の旧軍人達が住み着いたりしています。

チェルノブイリ周辺の閉鎖区域でも似たような光景が見られます。古い村に人々は電気も水道もないまま住み続け、自分達の手でなんとか生き延びています。この地域の地面は砂地です。ベルリンと同じで、白樺の森はベルリンからモスクワまで続いています。この土地では地下水は浅く、放射性物質が年に2センチずつ沈下していくと考えると、現在では地下50センチまで達していることになり、地下水まであとわずかです。

国家予算の半分

そういうわけですから、彼の地では大々的な変革が起こりました。ベラルーシーは莫大な医療費を負担しなければいけませんでした。チェルノブイリ事故後十年、十五年に渡って行われてきた国土に対する対策、校庭の除染ですとか、取り壊しなど。いったいその汚染土がどこに運ばれていったのか私は知りません。こうした費用はすべてベラルーシーが負担しなければなりませんでした。おそらく国家予算の半分はチェルノブイリ事故処理のために消えていったと思われます。

とうとうある時期、ソ連時代のような比較的気前の良い措置を実施し続けることは望まれなくなり、また続けることも不可能になったのです。ルカシェンコ大統領がチェルノブイリ事故は収束したものであり、博物館に収めるべき過去の出来事であると発表したのはそのためです。放射能汚染されていたベラルーシーの地域はすべて安全になったと公式表明されました。

旧リキダートア達(事故処理作業員)で証明書を保持する者には、事故後20年間、「石棺費」と呼ばれる補償が支払われてきました。また移住をさせられた人々も請求権を所持していました。こう言った手当てが広範囲に中止されてしまったのです。決して多額ではありませんでしたが、その他に無料に施されていた医療手当ても廃止されてしまいました。またチェルノブイリ事故の影響と認められてきた幾つかの病気も、現在では容易には認められなくなりました。

事故を起こしたチェルノブイリ原発とその周辺地域には、およそ百万人の「事故処理作業員」 が送られました。ほとんどが若者です。そして多くがベラルーシー出身でした。今日こうした作業員のほとんどが身障者です。肺癌、甲状腺癌、心臓疾患、腎臓や胃腸の障害、白血病のほか、精神病を病んでいる者もあります。すでに約十万人が40~50代で亡くなっています。自殺をした者も数多くあります。それなのにあっさりと「チェルノブイリは過去のものだ」といわれるのです。ミンスクでは抗議運動が起こりました。そして現在キエフでも旧リキダートア達が、ウクライナ政府が目論んでいる年金や手当て打ち切りに対してハンガーストライキを行ったところです。

例えばベラルーシーでは、被害者達は幼稚園や学校給食が無料だったり、子供達は特別のヴィタミン剤や保養を受けることも出来ました。保養こそ今でも年に一度受けることが出来ますが、その他の措置はすべて打ち切られてしまいました。ヴィタミンたっぷりの給食もです。被害者達は今でも証明書を所持していて私達に見せてくれますが、実際には価値がなくなってしまったわけです。事故当時の請求権はすべて廃止されてしまったのです。

そもそも収入が少ない上に体も壊している人々にとって、こうした廃止や短縮はすぐに響きます。今もちょうど毎年恒例の地方税増税を行ったところです。つまり水道代と暖房費。例えばこの暖房ですが、田園地帯を通って耐寒措置の施されていない配管から都市や大きな住宅、団地に送られるので、途中で多くの熱が失われてしまいます。そして人々は失われた暖房分も支払わなければなりませんから、村に住んだ方が安くあがることになります。

国民の生活を圧迫する国家巨大赤字は、確かにチェルノブイリ事故処理を原因とする面もありますが、ずさん極まりない経済体制によるところも大きいのです。ベラルーシーのハイパー・インフレは目下113パーセントにも昇ります。国民の平均所得は月々150~300ユーロ(約1万5千円~3万円)です。外国での就労は認められていません。

反対運動はまったく存在を許されない

ベラルーシーと新たなEU参加国であるポーランドやラトヴィア、リトアニアへの国境は非常に近いです。しかし問題はお金や国家破綻の脅威だけではありません。20年間この国はどうにも民主主義を樹立させられずにいるのです。政権に対する反抗はまったく許されません。それでもなお抗議運動が起こるのです。新しい原発建設と言うとんでもない政治決定に対する抗議です

ベラルーシーは原発を所持しません。しかし福島原発事故後間もなくルカシェンコは、ロシアの支援を受けて、リトアニアとの国境から20キロの場所にあるオストロヴェッツに原発を建設すると発表しました。その後ルカシェンコとプーチンの間で契約も締結されました。建設費用は50億ユーロ以上掛かると言われていますが、この新型でまったく安全な原発により、クリーンで安価なエネルギーの供給が可能になり、雇用も増加するというお決まりのプロパガンダが行われています。東でも西でも原発産業はまったく変わりません

(中略:デルテさんのベラルーシー訪問や支援活動について語られますが長いのでいったん略させていただきます)

さて、現地の人々の健康状態についてお話しましょう。ドイツでは耳にすることのない内容です。次のことをよく念頭に入れておくことが重要です:事故から時間が経過するとともに、人々の健康と生物学上の被害は甚大になっていくのです。ドイツ政府もマスコミも、ルカシェンコ大統領と同じ様にこの事実から目を逸らそうとしています。事故は過去のもの、博物館入りしたものと言う政治決定がなされたからです。

身を隠す母親たち

チェルノブイリ事故後、様々な異なる被害の波が発生しました。最初の波はまず成人に襲いかかりました。リキダートア達、放射能汚染した村を訪れた医者やその他の人々、そしてそう言う場所に住んでいた人々の多くが間もなく癌で亡くなったのです。またもう一方で、間もなく子供達も被害を受け始めました。ベラルーシーではヨード不足が蔓延しています。ベラルーシーには海岸がありませんから。その点日本は幸運でした。蔓延するヨード不足のため、ベラルーシーの子供達は甲状腺に大量の放射性ヨウ素を取り込んでしまいました。放射性ヨウ素は半減期が短いので、最初の十日間で取り込まれたことになります。

またチェルノブイリ事故後、被害を受けた妊婦を全員堕胎させる試みが行われました。しかし一部の妊婦達は身を隠してしまったのです。そしてその翌年生まれてきた子供達の間にも、甲状腺癌が現われたのでした。甲状腺癌はチェルノブイリ事故以前には子供にはまったく見られなかったのに、今では4000人の子供の甲状腺癌がベラルーシーでは公的に認められています。この子供達は手術を受け、放射性治療を受けました。それでも一生ホルモン投与を続けなければ、クレチン病 (甲状腺機能低下による先天性の病気; 体の奇形・白痴症状を伴う)を患ってしまいます。こうした一連の治療は、後年発症した機能障害のケースも含めて、事故から25年が経過した今日でも無料で行われるべきです。

続く世代には血液の病気が増発しました。ですから私達は「チェルノブイリは遺伝子の中で荒れ狂っている」と表現するのです。そしてこの現象はあと300年間続くことになるでしょう。これはストロンチウムとセシウムの半減期30年を十倍して計算した大まかな期間です。そして少なくとも7から8世代を意味します。半減期が2万4千年のプルトニウムには言及しません。糖尿病も問題の一つで、成人のみならず子供や特に新生児に見られます。かつてはありえなかったことです。

糖尿病に対して、ベラルーシーは二種類のインシュリンを購入して、すべての患者に対応しようとしています。しかし子供には少なくとも三種類のインシュリンが必要です。これはNGOが面倒を見なければ、手に入らない状態です。NGOはまた、不足している知識を人々に広める役割も果たしていますさらなる問題としては、子供の視力障害、白内障が挙げられます。また女性の間では乳癌が増加し、患者の多くは5年以内に命を落としてしまいました。もしかしたら被曝によって引き起こされる癌は、通常の生活の中で発生する癌よりもタチが悪いのでしょうか?

奇形の数も増えました。堕胎は大きなテーマです。ベラルーシーには避妊費用を負担できる人がほとんどいないのです。ですからこれは大きな問題です。また逆に不妊に悩む夫婦の問題も発生しています。コスチュコヴィッチでは30%の夫婦が、望まない不妊に悩んでいます。また現在6,7,8,9歳の子供達の間で悪性腫瘍が増加し、新たな問題となっています。脳腫瘍や骨の腫瘍です

まだまだ問題はあります。放射能汚染した地域では、傷口がなかなか癒えないのです。これはドラマチックでした。原因は免疫力の低下骨に取り込まれたストロンチウムのせいです。骨の中では血液が製造されますが、それが常に被曝を続ける状態になるわけです。ちょうどエイズと同じような状況で、抗体が製造されなくなるために予防接種が効かないのです。そのために予防接種にも関わらず急性灰白髄炎(ポリオ)が増加しました。予防接種が効かなくなったせいと栄養状態が悪いせいで結核も増加しました。その上人々は自家菜園に雨水を撒き、秋になると今でも汚染度の極めて高いキノコや野いちごを収穫します

傷ついた細胞

被曝が直接引き起こす健康被害にはまた、身体又は精神に障害を持つ子供の増加があります。女性の卵巣は胎児の状態ですでに形成されることをよく知っておかなければなりません。そして細胞の多くは約8百万個の卵胞に発達します。母体が受けている傷はすべてこうした細胞に伝達されます。胎盤という保護膜がありますが、よりによって放射性物質はこの部分に凝縮しやすいのです。傷ついた卵子は修復されることができません。誕生時に1~2百万個が傷ついていることになります。思春期では約40万個がまだ残っています。依然傷ついたままの卵子を持った母体が妊娠すると、それに応じた障害が引き起こされるのです。もう一つ知っておかなければならない大事なことがあります。こうした遺伝子の障害や癌と言った症状の原因はすべて低線量被曝 だということです。これはリキダートア達を襲った被曝症状とは別物なのです。そして責任者達はこのことを頑なに認めようとしていません。

身体に取り込まれた人工放射性物質が内臓器官を傷つけるのは、波長の短い放射線を発するためです。放射性物質が細胞を傷けた場合起こりえる現象は四通りあります:

1)細胞は死亡する 
2)細胞の機能が障害を受ける
3)細胞は劣化し癌に変わっていく
4)細胞は修復される

4)が可能なのは成長した細胞だけです。胎児には修復機能は全く備わっていませんし、子供の細胞も修復はできません。子供の細胞は成長と分裂を行うように出来ているだけで、修復機能は徐々に取得されていくものなのです。そのため、子供達はひときわ被曝の脅威にさらされています。福島の妊婦と子供達が即座に避難させられなければいけなかったのもそのためなのです!

原子力産業の規模というものは、私達などにはまるで想像も及ばないほど巨大なものです。あまりに多くの経済的利権、お金が背景に絡んでいます。そして原子力産業とそのロビイスト達(これに含まれるのは政治家や関連組織ですが)は、徹底して冷笑的な存在であり、それに見合った行動を取ることだけは私達にもわかります。まずは被曝許容基準量が一番の例です。ベラルーシーとウクライナでさえ、被曝許容基準は私達(ヨーロッパ)よりも低いのです。とにかく世界には完全に中立の機関が一つとして存在しないのです。WHOには、放射線防護の専門家はたった1人しかいません。 それにどっちみちWHOは発言なんてできないのです。放射線問題に関しては完全に口を封じられてしまっているからです。1957年にIAEA(世界原子力機構)との間に結んだ協定によって、WHOは、本当の放射能危機に関するいかなる報告を行うことも阻止されているのです。私達はこの口封じの協定を断固として弾劾しなければなりません。IPPNWはこの協定の破棄を求めています!この協定を破棄することで、WHOはようやく自らの憲章前文を正当に実施することが出来るようになるかもしれません:「最高水準の健康に恵まれることは、 あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです。」

IPPNWは、2011年8月に公表したFoodwatch リポートにおいて明白な表現を行っています:「許容基準の設定とは、結局のところ社会が許容する死亡者数を意味するのである。」

***

医学博士デルテ・ジーデントプフ。1942年オルデンブルグ(北ドイツ)生まれ。同地でアビトゥア(大学入学資格)まで学び、1961年からヴュルツブルグ、ベルリン、ゲッティンゲンで人間医学を学ぶ。1966年学位取得試験、1968年博士号取得。1967年結婚し、子供二人を持つ。1970年からはヘッセン州ディーツェンバッハの共同診療所に一般医・心理セラピストとして常勤。2003年現役引退。

ジーデントプフ博士は1981年の創設当時からIPPNW(核戦争防止国際医師の会)に所属する。
90年代はじめ「ディーツェンバッハ・コスチュコヴィッチ友の会財団」を設立。年二回、ベラルーシに医療器具、衣服、自転車、ミシン、コンピューターなどの支援物資を送付
するなどしている。

ドイツでは20年来、チェルノブイリの子供達のための療養滞在が組織されて来ている。ディーツェンバッハ市ではホストファミリーが毎年夏にベラルーシーの子供達を迎える。今では「友の会」はメンバーの数も増え、コスチュコヴィッチ市との間に数々の交友を実現させてきた。何人かの実行グループのメンバーが世話を一手に引き受け、寄付金や物資支援も募集している。2009年チェルノブイリ事故から23周年の日には、両市は姉妹都市となった。ジーデントプフ博士は医師の夫を持ち、子供が二人いる。父親は地方医、母親は教師で主婦だった。