特攻神社と特攻碑公園
出水にある特攻碑公園へ行こうと思い、
駐車場を確認しようと検索したら
近くに特攻神社がある事を知りました。
こちらのサイトが詳しいです。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinpu-izumi.htm
出水には13年くらい住んでいたけれど、神社の存在は知りませんでした。
ゴルフ場が飛行場だった事も、近くの道路が滑走路だった事も
こちらのサイトで初めて知りました。
特攻神社には、関 行男さんが祀られていました。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinpu-seki.htm
昭和19年10月25日、初めて特攻で出撃された方のひとりです。
特攻碑公園もじっくり見てきました。
(職場の花見で一度、行ったきり。しかも夜だったので何も見てませんでした。)
母方の祖母の弟は24歳で戦死しています。
(18歳と思い込んでいましたが、数えの24歳でした。)
伯母に聞いたところ、支那事変で戦死したそうです。
実家の仏間に写真が飾ってあり、
戦死した日時も書いてありました。
長年住んでいたのに全然、目に入っていませんでした・・・。
そして写真の裏に何か書いてあるのでは?と額から外してみたら
それは写真ではなく、精密に描かれた絵でした。
(裏には何も書かれていませんでした。)
母の10歳年上の姉は、戦時中、今の北朝鮮に住んでいました。
(母・子供4人で。ひとりは病気のため4歳で死亡)
祖父(伯母の父)は、衛生兵で、現在の韓国にいました。
なので祖父はすぐ日本に帰りました。
伯母たちは、38度線で仕切られてしまい、出る事が出来ず
約1年、草を食べるほどの極貧生活をし
祖母のいとこ夫婦と偶然出会う事で、脱出を試み
夜中に出発して、命がけで38度線を越えてきたのだそうです。
(伯母の強さはここにあるのかも?!)
そして、出水の実家の目の前には、兵舎があったらしく
Aコープ高尾野支店の駐車場にあるレンガの門柱は
当時の兵舎の門柱なんだそうです。
伯母が、大東亜戦争、支那事変とさらりと言っていたのを聞いて
当時はそう呼ばれていたのだと、歴史を感じました。
もっと時間をとって、伯母の話を聞いてみたいと思います。
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