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もう一度、知覧に行く。
そう決めていました。
今回はまず、復元された富屋食堂へ。
お孫さん・明久さんにお時間をとっていただき
直接、当時の事を伺いました。
とても眼力のある方でした。
富屋食堂の裏手には、鳥浜家の自宅?だったのかな。
庭に池があり、トメさんも空襲時には隠れていたそうです。
本の表紙にもなっている、トメさんと特攻隊員の方々の写真を
撮影した縁側、トメさんと光山さん、ふたりで撮った門柱。
ここにいらっしゃったのだと感慨深かったです。
お昼は、明久さんのお店「知覧茶屋」へ行ってみました。
茶そばをいただきました
量が多くてお腹いっぱいに
そして2度目の特攻平和会館へ。
行った時、ちょうど視聴覚室で
施設の方のお話があり、それを30分聴かせていただいて
1時間ほど、館内を見て回りました。
本で知った穴澤利夫さん、藤井一さん、荒木春雄さん、宮川三郎さん、
上原さん、光山さんのお写真、遺書、遺品を見つける事が出来ました。
穴澤利夫さんの婚約者の智恵子さんは、お亡くなりになったそうです。
あの世で再会する事が出来たのかな・・・。
そしてラ・ショミエルさんへ。
今回はお茶しに♪
チャイがとってもおいしかったです
もちろん焼き菓子も
今回、購入したトメさんの手ぬぐい。
いつも心にとめておきたい。
「なぜ生きのこったのか考えなさい
何かあなたにしなければならないことがあって
生かされたのだから」
辛口な本でした。
軍人さんといえども、ダメな人は居たようです
いろんな指導者がいる中で
特に際立った存在だったのが
硫黄島を戦った栗林忠道さんだったそうです。
硫黄島って名前は知っていましたが
(映画のタイトルで)
どこにあるのか、どんな戦いがあったのか
全く知りませんでした。
通常、指揮をとる人は、前線には出ず
後方にいるのが普通で、食事も一般の兵士の方とは別だったそうです。
でもこの栗林忠道さんは、一般の兵士の方と共に行動し、食事も一緒。
アメリカ軍は、5日で硫黄島を落とせると考えていたそうですが
この島での戦いは36日間。
日本は硫黄島を明け渡すことになったのですが
この時の戦いで、アメリカ軍に二度と日本とは戦いたくないという
思いをもたらせたようです。
硫黄島では、日米合同の慰霊祭が行われています。
アメリカ軍の方は、硫黄島で戦った方たちに(日本人を含め)
とても大きな敬意を持っています。
日本はGHQに慰霊祭を禁止されていたとはいえ、
何で硫黄島の事を知らないんでしょう。
私も全然知りませんでした。
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
新年早々、ドキドキしました。
こちらの番組で、マッカーサー、GHQが使っていた部屋が
紹介されています。(第一生命館)
カーテン、ソファー、机が当時のまま・・・。
出演されている、すぎやまこういちさんは
ドラクエを作曲された方です
弟が一生懸命、ゲームしてたなぁ
YouTube: 【新春 DHC】1/1(月) 青山繁晴・すぎやまこういち【真相深入り!虎ノ門ニュース 2018年新春SP】
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