『反日日本人』『ここがヘンだよ「反日」韓国』KAZUYA(著)
『反日日本人』
一時期、卒業式などで国歌を歌わない先生が居るとか
話題になっていましたが、そういう先生って結構いるんですね。
何でそこまでなのか、当時はよく分かりませんでしたが
こういう事だったのですね。
幸い、私は学校で反日の先生にはあたらなかったし
そもそも授業中にノートに落書きばかりしてたので
そういう先生が居ても、覚えてないのかもしれません
反日と言えば、朝日新聞。
そしてテレビもほぼ。
今はネットで情報を得られるのでありがたいですね。
日本人が日本人を貶める。
何をやりたいんだろう・・・と思ってしまいます。
『ここがヘンだよ「反日」韓国』
従軍慰安婦問題の事をちゃんと知るまでは、
韓国人は「同じアジア人」と思っていましたが、
従軍慰安婦問題が被害者ビジネスである事(情報戦でもある)、
在日朝鮮・韓国人の特権の事、
生活保護受給の異常な多さ、
強制連行で仕方なく日本に住んでいると主張するも
実は245人を除いて、不法入国で日本に入ってきた事、
知れば知るほど、違いをちゃんと知っておかないといけないなーと
思います。悲しいことにこれが現実・・・。
福沢諭吉の「脱亜論」の一部が掲載されていました。(現代語訳版)
福沢諭吉は朝鮮の独立を支援していましたが、もう無理・・・と思われたようです
日本は、国土はアジアにありながら、国民精神においては西洋の近代文明を受け入れた。
ところが日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である。そのひとつはシナであり、もうひとつは朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているのだが、もともと人種的に異なっているのか、それとも教育に差があるのか、シナ・朝鮮二国と日本の精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実綿では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
私の見るところ、このままではシナ・朝鮮が独立を維持することは不可能である。もしこの二国に改革の志士が現れて明治維新のような政治改革を達成しつつ上からの近代化を推し進めることが出来れば話は別だが、そうでなければ亡国と国土の分割・分断が待っていることに一点の疑いもない。なぜならインフルエンザのような近代文明の波に洗われながら、それを避けようと一室に閉じこもって空気の流れを絶っていれば、結局は窒息してしまう他はないからである。
「春秋左氏伝」の「補車唇歯」とは隣国同志が助け合う事を言うが、現在のシナ・朝鮮は日本にとって何の助けにもならないばかりか、この三国が地理的に近い故に欧米人から同一視されかねない危険性をも持っている。すなわちシナ・朝鮮が独裁体制であれば日本もそうかと疑われ、向こうが儒教の国であればこちらも陰陽五行の国かと疑われ、国際法や国際的マナーなど踏みにじって恥じぬ国であればそれを咎める日本も同じムジナかと邪推され、朝鮮で政治犯への弾圧が行われていれば日本もまたそのような国かと疑われ、等々、例を挙げていけばきりがない。これを例えれば、一つの村の村人全員が無法で残忍でトチ狂っておれば、たとえ一人がまともでもそれを咎めていたとしても、村の外からはどっちもどっちに見えると言うことだ。実際、アジア外交を評する場面ではこのような見方も散見され、日本にとって一大不幸だと言わざるを得ない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、ともに悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶好するものである。
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