フォトアルバム

Live Moon

twitter

更新ブログ

Powered by Six Apart

カウンター♪

アクセス

最近のトラックバック

« 2011年12月 | メイン | 2012年2月 »

「絶対原子力戦隊スイシンジャー 」


YouTube: 絶対原子力戦隊スイシンジャー

尾米タケル之一座 反原発コントフェス作品


悲しいけど、おもしろいです。
ぜひ、ご覧くださいeye

1/15放送 NHKスペシャル「知られざる放射能汚染~海からの緊急報告」

NHKで放送されてた番組の動画を
「ざまあみやがれい!」さんのブログに貼ってありました。
海のホットスポットは、流れによって変化するようです。
東京湾も約2年後、汚染される予想です。
約50分の番組です。

http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65785818.html


東京在住の方が、内部被爆の検査をした結果、
放射能物質が検出されたそうです。
コピペさせていただきました。

『すべては「気づき」』
「私の体からウランが検出されました-東京在住」
http://sekaitabi.com/bodycounter.html


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京都目黒区在住の方が内部被曝の検査をしたら、体内から各種放射性物質が
検出されたとのことでした。そこにはウラン、ストロンチウム、ジルコニウムを含みます。

こちらより転載

いうことで、セシウムがNDでよかった とホッとしたのもつかの間、ウランの数字が許容範囲(Acceptable Range)のトップの数値でした。

担当のお医者様に伺ったところ、本来は特殊な環境でお仕事をしていない限り普通は見つからないであろう放射性物質のひとつであり、有毒だとのことです。

私は、皆さんご存知のとおり潔癖症で、三重県より西、いえ ほとんどが九州産の野菜を買い、米は先週まで 2010年のものを食べ、ほとんど外出時はマスクをし、料理も 口に入るものは全部ミネラルウォーターを使っていました。

その私が このザマですわ。

数字が全てを物語っています。各自のご判断にお任せしますが、東京も深刻な状況であることは間違いないということです。

ショックです。はっきり言って。
鉄分を補え!という担当医のご指示通り、暫く努力したいと思います。

以上 ご報告まで。

この資料は ご自由に添付など なさっていただいて結構です!!
(私の名前は写していないので)

————————————————-

この方は東京都目黒区在住だそうで(^^;
小さな子供達が受けた被爆は一体どれ程のものだろうって考えると恐ろしくなります。

(転載ここまで)

————————————————-

首都圏も深刻な状況であることがわかります。

最近の記事で、米国の調査により首都圏にも大量にストロンチウムが降下したことが
明らかになったばかりです。日本政府は隠蔽を続けています。

都内も大量ストロンチウム降下 政府非公表の驚愕事実

「オン・ザ・ロード」


YouTube: 「オン・ザ・ロード」

(1991年バージョン)
編集:宮田雪
曲歌:南正人

Mさんからのシェア。
きつい映像もあります。

ジョン・レノンが、
「世界は狂人たちによって支配されている」
と言ってた意味が分かりました。

変わっていこうよclover

「ドイツ紙:放射線被曝に詳しいジーデントプフ医学博士インタビュー」

とても重要な事なので、
中村隆市さんのブログを転載します。

『中村隆市ブログ「風の便り」』
「ドイツ紙:放射線被曝に詳しいジーデントプフ医学博士インタビュー」
http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-8550

女医デルテ・ジーデントプフは、20年来、チェルノブイリの子供達を療養滞在のためドイツに招聘し続けて来た。彼女は、福島事故に対する措置に、ただただ唖然としている。(ガブリエレ・ゲートレ取材)

***

12月初旬、ジーデントプフ博士は私達取材班を、ベルリン・パンコフの市民公園沿いにある彼女の小さな屋根裏のアパートに迎え入れてくれた。 お茶とクッキーをはさんで、今までの救援活動や経験について語ってくれる。

一番ひどいのは、責任者達がチェルノブイリから何一つ学んでいないことです。チェルノブイリ事故よりもさらに規模の大きい福島原発事故に対する対応ぶりには、私は茫然自失としています。日本政府が避難地区を事故に見合った範囲に拡大しなかったこと、女性や子供達を即座に安全な南部に避難させなかったことに対しては、ただただやり場のない怒りを感じるだけです。そうした適切な措置を取る代わりに、国民はシステマティックに騙されてきました。実際の危険に関する情報は伝えられない、あるいは伝えられても誤った情報である。なんという無責任でしょう。これから日本の方々を襲おうとしている健康問題は想像を絶します。しかも政治と原子力産業はそのことを黙認しているのです! 世界中で!

チェルノブイリの先例を見れば、事故の規模についてはある程度想像が出来るでしょう。多くの人々がチェルノブイリははるか昔のことだ、ウィキペディアで調べられるような過去の事故だと考えています。しかし汚染地域の住民達は1986年から現在までチェルノブイリ事故と共に生活してきているのです。事故による被害は収束するということを知りません。自然災害と違って、原発事故の被害は時間の経過と共に減少していく代わりに増大していくのです。しかもその期間は今後少なくとも300年間にも及びます。このことに関しては後ほどもっと詳しくお話しましょう。(Gesundheitliche Folgen von Tschernobyl, 20 Jahre nach der Reaktor- Katastrophe )」

人々は何十年にも渡って汚染地域で生活してきた

「その前にまず 何故私達が援助活動をベラルーシーで始めるようになったのか、手短にお話しましょう。チェルノブイリ事故による汚染地域の大部分はベラルーシーにあるのです。当時のソ連邦に降下した放射性物質の70%が当時の旧ソ連ベラルーシー共和国に降り注ぎ、国土のおよそ四分の一が放射能汚染されました。ベラルーシーの国境は原子炉から約15キロの距離にあります。

それだけではありません。事故後、風向きが変わって放射能雲がモスクワに向かい始めたとき、ヨウ化銀を用いた人工雨によって、大急ぎで放射性物質のベラルーシー領域への降下が促進されたのでした。もちろん住民には何も知らされませんでした。五月初旬のよく晴れた日、突然空からべとべとした黄色い雨が落ちて来たと人々は語ります。 このことは長年の間住民に明らかにされず、ただ移住が行われ、指令が出され、人々をなだめすかせるようなことが行われただけでした。計測器は厳重に禁止されていました。

特に汚染がひどかったのがゴメルとモギリョフでした。このモギリョフ地方にあるのが、私が20年来足を運び続けている小都市コスジュコヴィッチなのです。ゴメルとモギリョフ両地方は大きな面積が放射能汚染され、約百万人が移住させられましたが、移住を実行するためにはまず大きな都市や区域に家々を建設しなければなりませんでした。ミンスク(ベラルーシー首都)周辺には大きな街が建てられました。新しい住居に移住できるようになるまで、多くの人々は十年間も汚染地域に住み続けなければなりませんでした。そして今でも多くの人々が汚染された土の上に住み、農業に従事しています。

ソ連邦が崩壊した後には、こうした措置の責任はすべてベラルーシーが負うことになりました。私達の「区域」だけでも8000人の住民が移住させられました。26の村が取り壊され、土に埋められました。放射能汚染地域の村々の多くは、空っぽのまま取り残されています。そこには老人達が帰郷したり、町で生活していけないアフガニスタンやチェチェン戦争の旧軍人達が住み着いたりしています。

チェルノブイリ周辺の閉鎖区域でも似たような光景が見られます。古い村に人々は電気も水道もないまま住み続け、自分達の手でなんとか生き延びています。この地域の地面は砂地です。ベルリンと同じで、白樺の森はベルリンからモスクワまで続いています。この土地では地下水は浅く、放射性物質が年に2センチずつ沈下していくと考えると、現在では地下50センチまで達していることになり、地下水まであとわずかです。

国家予算の半分

そういうわけですから、彼の地では大々的な変革が起こりました。ベラルーシーは莫大な医療費を負担しなければいけませんでした。チェルノブイリ事故後十年、十五年に渡って行われてきた国土に対する対策、校庭の除染ですとか、取り壊しなど。いったいその汚染土がどこに運ばれていったのか私は知りません。こうした費用はすべてベラルーシーが負担しなければなりませんでした。おそらく国家予算の半分はチェルノブイリ事故処理のために消えていったと思われます。

とうとうある時期、ソ連時代のような比較的気前の良い措置を実施し続けることは望まれなくなり、また続けることも不可能になったのです。ルカシェンコ大統領がチェルノブイリ事故は収束したものであり、博物館に収めるべき過去の出来事であると発表したのはそのためです。放射能汚染されていたベラルーシーの地域はすべて安全になったと公式表明されました。

旧リキダートア達(事故処理作業員)で証明書を保持する者には、事故後20年間、「石棺費」と呼ばれる補償が支払われてきました。また移住をさせられた人々も請求権を所持していました。こう言った手当てが広範囲に中止されてしまったのです。決して多額ではありませんでしたが、その他に無料に施されていた医療手当ても廃止されてしまいました。またチェルノブイリ事故の影響と認められてきた幾つかの病気も、現在では容易には認められなくなりました。

事故を起こしたチェルノブイリ原発とその周辺地域には、およそ百万人の「事故処理作業員」 が送られました。ほとんどが若者です。そして多くがベラルーシー出身でした。今日こうした作業員のほとんどが身障者です。肺癌、甲状腺癌、心臓疾患、腎臓や胃腸の障害、白血病のほか、精神病を病んでいる者もあります。すでに約十万人が40~50代で亡くなっています。自殺をした者も数多くあります。それなのにあっさりと「チェルノブイリは過去のものだ」といわれるのです。ミンスクでは抗議運動が起こりました。そして現在キエフでも旧リキダートア達が、ウクライナ政府が目論んでいる年金や手当て打ち切りに対してハンガーストライキを行ったところです。

例えばベラルーシーでは、被害者達は幼稚園や学校給食が無料だったり、子供達は特別のヴィタミン剤や保養を受けることも出来ました。保養こそ今でも年に一度受けることが出来ますが、その他の措置はすべて打ち切られてしまいました。ヴィタミンたっぷりの給食もです。被害者達は今でも証明書を所持していて私達に見せてくれますが、実際には価値がなくなってしまったわけです。事故当時の請求権はすべて廃止されてしまったのです。

そもそも収入が少ない上に体も壊している人々にとって、こうした廃止や短縮はすぐに響きます。今もちょうど毎年恒例の地方税増税を行ったところです。つまり水道代と暖房費。例えばこの暖房ですが、田園地帯を通って耐寒措置の施されていない配管から都市や大きな住宅、団地に送られるので、途中で多くの熱が失われてしまいます。そして人々は失われた暖房分も支払わなければなりませんから、村に住んだ方が安くあがることになります。

国民の生活を圧迫する国家巨大赤字は、確かにチェルノブイリ事故処理を原因とする面もありますが、ずさん極まりない経済体制によるところも大きいのです。ベラルーシーのハイパー・インフレは目下113パーセントにも昇ります。国民の平均所得は月々150~300ユーロ(約1万5千円~3万円)です。外国での就労は認められていません。

反対運動はまったく存在を許されない

ベラルーシーと新たなEU参加国であるポーランドやラトヴィア、リトアニアへの国境は非常に近いです。しかし問題はお金や国家破綻の脅威だけではありません。20年間この国はどうにも民主主義を樹立させられずにいるのです。政権に対する反抗はまったく許されません。それでもなお抗議運動が起こるのです。新しい原発建設と言うとんでもない政治決定に対する抗議です

ベラルーシーは原発を所持しません。しかし福島原発事故後間もなくルカシェンコは、ロシアの支援を受けて、リトアニアとの国境から20キロの場所にあるオストロヴェッツに原発を建設すると発表しました。その後ルカシェンコとプーチンの間で契約も締結されました。建設費用は50億ユーロ以上掛かると言われていますが、この新型でまったく安全な原発により、クリーンで安価なエネルギーの供給が可能になり、雇用も増加するというお決まりのプロパガンダが行われています。東でも西でも原発産業はまったく変わりません

(中略:デルテさんのベラルーシー訪問や支援活動について語られますが長いのでいったん略させていただきます)

さて、現地の人々の健康状態についてお話しましょう。ドイツでは耳にすることのない内容です。次のことをよく念頭に入れておくことが重要です:事故から時間が経過するとともに、人々の健康と生物学上の被害は甚大になっていくのです。ドイツ政府もマスコミも、ルカシェンコ大統領と同じ様にこの事実から目を逸らそうとしています。事故は過去のもの、博物館入りしたものと言う政治決定がなされたからです。

身を隠す母親たち

チェルノブイリ事故後、様々な異なる被害の波が発生しました。最初の波はまず成人に襲いかかりました。リキダートア達、放射能汚染した村を訪れた医者やその他の人々、そしてそう言う場所に住んでいた人々の多くが間もなく癌で亡くなったのです。またもう一方で、間もなく子供達も被害を受け始めました。ベラルーシーではヨード不足が蔓延しています。ベラルーシーには海岸がありませんから。その点日本は幸運でした。蔓延するヨード不足のため、ベラルーシーの子供達は甲状腺に大量の放射性ヨウ素を取り込んでしまいました。放射性ヨウ素は半減期が短いので、最初の十日間で取り込まれたことになります。

またチェルノブイリ事故後、被害を受けた妊婦を全員堕胎させる試みが行われました。しかし一部の妊婦達は身を隠してしまったのです。そしてその翌年生まれてきた子供達の間にも、甲状腺癌が現われたのでした。甲状腺癌はチェルノブイリ事故以前には子供にはまったく見られなかったのに、今では4000人の子供の甲状腺癌がベラルーシーでは公的に認められています。この子供達は手術を受け、放射性治療を受けました。それでも一生ホルモン投与を続けなければ、クレチン病 (甲状腺機能低下による先天性の病気; 体の奇形・白痴症状を伴う)を患ってしまいます。こうした一連の治療は、後年発症した機能障害のケースも含めて、事故から25年が経過した今日でも無料で行われるべきです。

続く世代には血液の病気が増発しました。ですから私達は「チェルノブイリは遺伝子の中で荒れ狂っている」と表現するのです。そしてこの現象はあと300年間続くことになるでしょう。これはストロンチウムとセシウムの半減期30年を十倍して計算した大まかな期間です。そして少なくとも7から8世代を意味します。半減期が2万4千年のプルトニウムには言及しません。糖尿病も問題の一つで、成人のみならず子供や特に新生児に見られます。かつてはありえなかったことです。

糖尿病に対して、ベラルーシーは二種類のインシュリンを購入して、すべての患者に対応しようとしています。しかし子供には少なくとも三種類のインシュリンが必要です。これはNGOが面倒を見なければ、手に入らない状態です。NGOはまた、不足している知識を人々に広める役割も果たしていますさらなる問題としては、子供の視力障害、白内障が挙げられます。また女性の間では乳癌が増加し、患者の多くは5年以内に命を落としてしまいました。もしかしたら被曝によって引き起こされる癌は、通常の生活の中で発生する癌よりもタチが悪いのでしょうか?

奇形の数も増えました。堕胎は大きなテーマです。ベラルーシーには避妊費用を負担できる人がほとんどいないのです。ですからこれは大きな問題です。また逆に不妊に悩む夫婦の問題も発生しています。コスチュコヴィッチでは30%の夫婦が、望まない不妊に悩んでいます。また現在6,7,8,9歳の子供達の間で悪性腫瘍が増加し、新たな問題となっています。脳腫瘍や骨の腫瘍です

まだまだ問題はあります。放射能汚染した地域では、傷口がなかなか癒えないのです。これはドラマチックでした。原因は免疫力の低下骨に取り込まれたストロンチウムのせいです。骨の中では血液が製造されますが、それが常に被曝を続ける状態になるわけです。ちょうどエイズと同じような状況で、抗体が製造されなくなるために予防接種が効かないのです。そのために予防接種にも関わらず急性灰白髄炎(ポリオ)が増加しました。予防接種が効かなくなったせいと栄養状態が悪いせいで結核も増加しました。その上人々は自家菜園に雨水を撒き、秋になると今でも汚染度の極めて高いキノコや野いちごを収穫します

傷ついた細胞

被曝が直接引き起こす健康被害にはまた、身体又は精神に障害を持つ子供の増加があります。女性の卵巣は胎児の状態ですでに形成されることをよく知っておかなければなりません。そして細胞の多くは約8百万個の卵胞に発達します。母体が受けている傷はすべてこうした細胞に伝達されます。胎盤という保護膜がありますが、よりによって放射性物質はこの部分に凝縮しやすいのです。傷ついた卵子は修復されることができません。誕生時に1~2百万個が傷ついていることになります。思春期では約40万個がまだ残っています。依然傷ついたままの卵子を持った母体が妊娠すると、それに応じた障害が引き起こされるのです。もう一つ知っておかなければならない大事なことがあります。こうした遺伝子の障害や癌と言った症状の原因はすべて低線量被曝 だということです。これはリキダートア達を襲った被曝症状とは別物なのです。そして責任者達はこのことを頑なに認めようとしていません。

身体に取り込まれた人工放射性物質が内臓器官を傷つけるのは、波長の短い放射線を発するためです。放射性物質が細胞を傷けた場合起こりえる現象は四通りあります:

1)細胞は死亡する 
2)細胞の機能が障害を受ける
3)細胞は劣化し癌に変わっていく
4)細胞は修復される

4)が可能なのは成長した細胞だけです。胎児には修復機能は全く備わっていませんし、子供の細胞も修復はできません。子供の細胞は成長と分裂を行うように出来ているだけで、修復機能は徐々に取得されていくものなのです。そのため、子供達はひときわ被曝の脅威にさらされています。福島の妊婦と子供達が即座に避難させられなければいけなかったのもそのためなのです!

原子力産業の規模というものは、私達などにはまるで想像も及ばないほど巨大なものです。あまりに多くの経済的利権、お金が背景に絡んでいます。そして原子力産業とそのロビイスト達(これに含まれるのは政治家や関連組織ですが)は、徹底して冷笑的な存在であり、それに見合った行動を取ることだけは私達にもわかります。まずは被曝許容基準量が一番の例です。ベラルーシーとウクライナでさえ、被曝許容基準は私達(ヨーロッパ)よりも低いのです。とにかく世界には完全に中立の機関が一つとして存在しないのです。WHOには、放射線防護の専門家はたった1人しかいません。 それにどっちみちWHOは発言なんてできないのです。放射線問題に関しては完全に口を封じられてしまっているからです。1957年にIAEA(世界原子力機構)との間に結んだ協定によって、WHOは、本当の放射能危機に関するいかなる報告を行うことも阻止されているのです。私達はこの口封じの協定を断固として弾劾しなければなりません。IPPNWはこの協定の破棄を求めています!この協定を破棄することで、WHOはようやく自らの憲章前文を正当に実施することが出来るようになるかもしれません:「最高水準の健康に恵まれることは、 あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです。」

IPPNWは、2011年8月に公表したFoodwatch リポートにおいて明白な表現を行っています:「許容基準の設定とは、結局のところ社会が許容する死亡者数を意味するのである。」

***

医学博士デルテ・ジーデントプフ。1942年オルデンブルグ(北ドイツ)生まれ。同地でアビトゥア(大学入学資格)まで学び、1961年からヴュルツブルグ、ベルリン、ゲッティンゲンで人間医学を学ぶ。1966年学位取得試験、1968年博士号取得。1967年結婚し、子供二人を持つ。1970年からはヘッセン州ディーツェンバッハの共同診療所に一般医・心理セラピストとして常勤。2003年現役引退。

ジーデントプフ博士は1981年の創設当時からIPPNW(核戦争防止国際医師の会)に所属する。
90年代はじめ「ディーツェンバッハ・コスチュコヴィッチ友の会財団」を設立。年二回、ベラルーシに医療器具、衣服、自転車、ミシン、コンピューターなどの支援物資を送付
するなどしている。

ドイツでは20年来、チェルノブイリの子供達のための療養滞在が組織されて来ている。ディーツェンバッハ市ではホストファミリーが毎年夏にベラルーシーの子供達を迎える。今では「友の会」はメンバーの数も増え、コスチュコヴィッチ市との間に数々の交友を実現させてきた。何人かの実行グループのメンバーが世話を一手に引き受け、寄付金や物資支援も募集している。2009年チェルノブイリ事故から23周年の日には、両市は姉妹都市となった。ジーデントプフ博士は医師の夫を持ち、子供が二人いる。父親は地方医、母親は教師で主婦だった。

「台湾50病院 被曝外来を開設 」


YouTube: 台湾50病院 被曝外来を開設

日本での原発事故が、台湾に影響しています。
台湾の病院は、被曝外来を開設hospital
日本では、作業員さんが死亡しても
因果関係は認められない、で終わり。
この違い・・・sign01

ぬまゆさんのインタビュー

南相馬市にお住まいの「ぬまゆのブログ」のぬまゆさんの
インタビューを、文字起こしされてた方がいらっしゃいましたので
こちらに転載させていただきます。
インタビューされたのは、ジャーナリストの池上安身さんです。

「B層からの覚醒 いわゆる一つの~・・・」
http://ameblo.jp/momosuke-1213/entry-11132890083.html
こちらのブログに、ぬまゆさんの写真が掲載されています。
ウィッグをされてると思います。
ブログには、髪が薄くなったとかかれていましたので。

「ぬまゆのブログ」
http://blogs.yahoo.co.jp/kmasa924


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ぬまゆさんこと南相馬在住の沼内恵美子さんのインタビュー。

by komatsunotsuma

配信始まりました!ぬまゆさんこと南相馬在住の沼内恵美子さんのインタビュー。

ぬまゆさん;18年間高校の先生後、今は塾経営。南相馬、福島はささえあう文化が昔からって、そここが好き。避難しなかった理由は遅いと思った。全電源喪失から数日たってたから。発表の遅さ。
ぬまゆさん;避難しない理由。1週間いたという事は、もう無理だろうと。遅いと思ったから。だったら生かす方向で体を使えないかと。ささいな事でもメモを。それがブログ。じたばたしても始まらない。

ぬまゆさん;まさかここまでになるとは思わなかった。健康障害は起こるとは思ってた。屋内退避。政府の言った事を守っていたら体がどうなるのか。残してくのが私にできるささやかな抵抗だった。
ぬまゆさん;避難するしないを決めたのは郷土愛だけじゃない。線量が下がるまで子供がいる弟は避難をさせました。名古屋に実家家族を逃がした。私は政府の対応が嘘だと疑心暗鬼。だから実験台に。

ぬまゆさん;体調変化はチェルノでもあった様に何年か後にはでるとは思ってたが、こんなに早く出るとは思ってなかった。医者も原因不明。経過観察と言ってた。体調異変は下痢。手のしびれ。夏に。
ぬまゆさん;夏から二ヶ月程下痢。6月~8月。本格的におかしいと思ったのは8月13日。手にしびれが走った。少しづつ広がってく。いつのまにか消えた。痛くてギターの弦もさわれなかった。しびれ
ぬまゆさん;原因不明。医者も経過観察と。手のしびれで最初に受診。下痢で受診ではなく。1ヶ月半で突然消えた。波があると医者。信用してる医者なので、そこだけに。8月18日今度はアゴのいたみ
ぬまゆさん;アゴの痛みで受診。薬飲んでも痛い。その時はあごだと。歯とは思ってなかった。が、歯茎が痛くなり協力な痛み止めを飲んでも消えない。髪の毛が抜けたのは秋。放射能とは考えてなかった。
ぬまゆさん;何かの病気かと思って受診した。医者もわからないと。錠剤だけでだめなので座薬と併用。炎症反応あるかと思い8月25日血液検査が出た。最初の。炎症反応が平常より高かった。

ぬまゆさん;炎症どこにあるか不明。経過観察に。今度は手のひらから5本の指まで異常なしびれ。以前の3本しびれはなく。体調が変だと、この頃から書いた。ブログは政府の対応遅さと信憑性のなさ。

ぬまゆさん;9月はなく10月に物がはさまってると思ってたら奥歯が根元からポロッと。二本。上下3本とれた。尋常ではないと。前は永久歯がぐらぐらするなんて、ありえなかったのに。

ぬまゆさん;内科に行き痛み止めを。尋常ではないと初めて10月に思った。歯は結局、4本自然になくなってた。ぱっとみ健康そうな歯も痛くてぬいてもらった。どうにもならなくて。8本なくなった。
ぬまゆさん;入れ歯にしたほうがいいと。医者。お願いして1月に。でも、もう1本ぬいてと言うと医者が「もう、こないでくれ」と。歯は健康だったのに。3.11の2週間前に虫歯治療完了してたのに。

ぬまゆさん;10月20日に手に痛みもかゆみもない水泡が。夜はなんともなかったのに。分単位で大きくなっていった。中に黄色い水が。消毒して軟膏をぬった。3箇所位。波があった。足にもできた。
ぬまゆさん;30分後に手だけでなく足にも水泡が。皮膚科には、いかなかった。過労で倒れて以来、医者は信用してない。あのお医者さんだけ限定で審査をして頂いてます。

ぬまゆさん;本当にあなたの写真なの?とブログにクレームがきたので、手にぬまゆと書いて撮影。つぶして軟膏塗ってしか今は。経過観察。水疱。病院のはしごをしても。信頼できるあのお医者さんだけ。

ぬまゆさん;純粋に水がぼこっとでただけ。原因不明。出たらつぶしましょうと医者。経過観察。次の症状はだるい。3日間動けなかった。10月22日。睡眠薬を頂き三日間寝てた。体温上昇も。

ぬまゆさん;10月26日に体温が上昇。37度。血圧も高かった。通常低血圧なのに。140と93.発熱続いた。寒くはなかった。汗をかいてた。私だけが10月の終わりなのに。35度の人間が37度

ぬまゆさん;髪がどんどん抜けた。12月6日には倦怠感かなり強く。座ってもいられず。薬で眠った。体調悪いのは12月。すべてしんどく、はげた。ごっそり毛が抜けた。全部きた。12月は。

ぬまゆさん;だるい。11月9日。倦怠感。目が開けられない。水泡もできて。9月以降は完全にだめだった。脱毛は11月から。12月3日に、はげてると、めいに言われた。かつらを後ではずします。

ぬまゆさん;ささいな傷でも大量に出血した。血が止まりにくいのかと思った。絨毯にもボタボタ血がおちてた。初めての体験。1回とじた傷だったのに。浅い傷だったのに。

ぬまゆさん;たえきれなくなって12月17日。長い髪、重い。嫌で。横もしばるのも髪が隙間が見えてた。もうだめだと。で、風呂上りで足に違和感。爪が直角にかけてた。親指の爪が。

ぬまゆさん;爪が今ははえてきたが爪がボロッととれはずれた。まさか湯上りに爪がはずれるなんて。ビックリした。ばっさり髪を切ってもらった。でも抜けた。今も髪が薄い。髪が全体的に地肌見えた。

ぬまゆさん;3cmに切っても排水溝に髪がだーっと。なので、ぼうずになった。全部、放射能に関連づけるもんごんは一言もブログに書いてない。わからないから個人きめつけられない。データ残すだけ。
ぬまゆさん;マイナス思考は全くない。これから何が出るのか興味がある。毎日無事に朝を迎えられたと。そうしたら夫がトイレで騒いだ。鼻血が!と。気持ちが悪い出方だった。夫は瞬間的にふいたが。

ぬまゆさん;マイナス思考はない。鼻血が出るのは子供だけかと思ってたが、夫も出た。鼻血が出るタイプじゃないのに。私の親友もウイッグかぶってた。10月9日は髪の毛がちゃんとあったのに。

ぬまゆさん;夫の鼻血。トイレのシートにじわーっと。上にぽつんじゃなく。しみこんでた。鼻血すぐとまったが。どん!と一瞬出て。鼻血が出る人じゃないのに。経過観察をしてくと考えている。

ぬまゆさん;親友の彼女は髪をきらない。髪は抜けてるが。最終的に思うのは日本医学で原因不明という以上は被爆とか放射能とか偏った考えでない。ブログにはない。でも、同じ症状の方がいらした。
ぬまゆさん;親友も10月は髪があったのに12月にはウイッグ。髪が抜けた。42歳なのに。ここまでひどいと思わなかった。お互いかつら。彼女もご主人も、だるくて家事をする気にもならないと。

ぬまゆさん;300キロ無理と想像してたのは、はずしてなかったかも。いつ誰が何の症状起こすかはわからない。風邪と思っても。経過観察と私も思ってた。体調日記が、こんなブログになった。

木村氏;ストレスによる免疫疾患。歯、爪ぬけおちる。髪ぬける。自己免疫疾患。皮膚炎症。タイムログ。出てくる可能性ある。放射能ではないが原発事故の被害者。固体差ある。被爆影響もあるかも
木村氏;線量の違い。南相馬、県道を通った。裏道。3月に高線量があった。住んでいたら被爆影響の可能性もある。住んでる場所により線量低ければストレスの可能性もある。


木村氏;自己免疫疾患のメカニズムまで説明できない。ストレスは岩上さんは強い方。強い人間からはわからない。固体差があるから。うさぎは寂しさで死ぬという話。人間もあるかも。ストレスはだとう。

木村氏;自己免疫系疾患。ストレスで腎臓病に迄なる。可能性は高い。認識してストレスと思わない事にはデータを。判断する。内部被爆もカウンセリングしながらやってる。

ぬまゆさん;屋内退避期間。置いてかれたわんこがいた。配ってた。不安やストレスはなかったと思う。政府の言うこと、東電会見、子供喧嘩してる国会に文句は言ってたが、怒り狂う事はなかった。

ぬまゆさん;自然体で今はいられる。たとえ発ガンしようと交通事故でしのうと悔いはない。因果関係は未知の領域。わからないと思うが、検体で徹底的にみてもらいたい。120歳迄生きるけど。

ぬまゆさん;おおやけの機関、公務員してたから役所仕事体験してやめたから、それに対する怒りは、まわりのみなさんにはない。みんな気づいてとは思ってた。
ぬまゆさん;私が120歳でしんだら葬式は1時間でいいので、移送して私を検体して徹底的に調べてほしい。物体はいかして使わないと。今後の資料としてぜひ残してほしい。

ぬまゆさん;120歳まで生きるつもりなので、私がしんだら、ドイツで検体をしてもらいたい。徹底的に私を。資料としてもらいたい。

「騒音おばさんの真実」

ネットで、見つけた動画です。
世間をにぎわした、「騒音おばさん」と呼ばれた方。
すごい人だわ・・・wobblyと思っていたのですが、
どうやらマスコミが作り上げた人物像だったようです。
こんな事あっていいの?
おもしろければそれでいいの?


YouTube: 騒音おばさんの真実

で、この事をNHKの番組で
マスコミの方々に質問した方がいらっしゃいます。
↓こちらの動画。


YouTube: 【浅野さん】NHKが沈黙した日

真実は何処に。

銀行の信用創造と、
日本銀行が国のものでなく、
株の55%は政府が持っているけれど
残りの45%は非公開というのを知り、
今の経済って、おかしいんじゃない?
危険と分かった原発を、経済のために
まだ動かそうとしている根底にあるものって
こういうところからきてるんじゃない?という疑問がわきました。

で、最近知った動画「アメノウズメ塾」。
おーーーーー?????


YouTube: 貴方を洗脳から覚醒させるアメノウズメ塾①911はCG?

なんやのこれ?

ご興味のある方は、こちらのブログへ。
見やすいよう、順番に貼ってくださってます。
(こちらのブログは、たぶん全部貼れないのでsweat01

「銀座ホステスnicoの気まま」
http://blog.livedoor.jp/ginzanico/archives/5103088.html

「風が吹くとき-When the Wind Blows」


YouTube: 風が吹くとき-When the Wind Blows(1/6)

風が吹くとき-When the Wind Blows(2/6)
http://www.youtube.com/watch?v=555vJ7VzL9s&feature=related


風が吹くとき-When the Wind Blows(3/6)
http://www.youtube.com/watch?v=MaEGVM0vBfM&feature=related


風が吹くとき-When the Wind Blows(4/6)
http://www.youtube.com/watch?v=rdH1jmsdIls&feature=related


風が吹くとき-When the Wind Blows(5/6)
http://www.youtube.com/watch?v=zdVe71omyHo&feature=related


風が吹くとき-When the Wind Blows(6/6)
http://www.youtube.com/watch?v=B4c-8Tf4K_o&feature=related

日本語訳のがありました。
原爆を落とされ、政府の救助を待つ夫婦のお話。
切ない・・・。
何も情報がないといのは、こういう事なんだな・・・。

「脱原発をめざす女たちの会 キックオフ集会・藤波心ちゃん」


YouTube: 脱原発をめざす女たちの会 キックオフ集会

14歳の藤原心ちゃんshine
5分くらいの動画です。
「何も知らない私達が原発を支えてきた」
そうだったと思う。


最近、お金のしくみを知り、
無からお金が出来る信用創造がに疑問があり、
今、「エンデの警鐘」を読んでいます。
今の「成長する事」のみを良しとする経済も
無理があると感じています。

この本は、まだ読んでいる途中ですが、
田中優さんの「未来バンク」の事が紹介されていますshine
AZにも商品が置いてあるピープル・ツリー(フェアトレードカンパニー)は、
未来バンクの融資から、会社を設立したんですねflair
初めて知りました。
アジア好き、な事から知ったピープル・ツリー。
それで初めて知ったフェアトレード。
「お金」の流れを変える。「預金先」を選ぶ。
とても大切な事だと思いますclover

※FBにも同じ内容を書いたのですが
田中優さんからコメントいただきまして(ビックリflair
未来バンクは、設立資金の一部を融資しただけです、との事。
本には、1000万融資を受けたと記載されています。
私が勘違いして、未来バンクからの融資で
会社を作ったと思っていました。
すみませんでした。