「國破れて マッカサー」西 鋭夫(著)
ようやく読み終わりました
厚い本なので、気になる箇所に付箋を貼っていきました。
生の機密文書によって書かかれた本。
・占領中、日本での公用語は英語だった。
日本政府の全文書、マスコミの全印刷物、NHKの全放送内容は英訳され、
GHQの判断を仰がなければならなかった。
日本政治家の発言、演説もすべて英訳された。
・真珠湾攻撃の前日、ワシントンの日本大使館の職員たちは、
職務怠慢(同僚の送別会パーティーに出席中)のため、重大な最後通牒の翻訳に
取りかからず、アメリカ政府に宣戦布告書を手渡すことが遅れた。
(責任は取らされていないようだ・・・。なんでだろうか?)
・1941年当時、水兵だったワシントン大学 教授アレックス・エデルスタイン博士の話。
12月5日(金)に、土曜日~日曜日に空母3隻のみ、演習命令が下った。
(アメリカ海軍史上、日曜日に演習をしたのは、この時が最初で最後)
ルーズベルト大統領は、日本が攻めてくるのを知っていて
大事な空母3隻を真珠湾から避難させていた。
・パージ(追放)
・マスコミ支配。(日本国内のみならず、海外のマスコミに対しても。)
※海外に対しては、検閲はないが、批判・排除
(マスコミがアメリカ陸軍省に抗議→マッカーサーとのやりとりが多く記載されてます。)
・部下に6日間で、憲法草案を作らせた。
・『用心棒を雇い、飯を食わせ、銭もやる。この状態を「平和」と呼び、
「平和憲法」「平和教育」と恰も平和踊りを輪になって舞っている日本国民は、
賢いのか、狡いのか。それとも「亡命踊り」をしながら奈落の底へ落ちていっている
のだろうか。』
・ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡・日本」
・『マッカーサーは「日本の伝統文化」を抹殺しただけでなく、その死体に
「悪」「罪」「恥」という烙印を押した。さらに、学校教育を使い、日本の若い世代に
「日本は大罪を犯した恥ずべき国」「愛国心は戦争を引き起こすばい菌」「日の丸は軍旗」
「君が代は軍隊行進曲」と教え込んだ。』
・『悪い日本が改心し、勝者アメリカが創設した国際連合へ加盟させて戴けるよう、「新日本」
はひたすら努力しなければならないとの教育が続く。』
・『CIEは文部省に「政治教育が主要な目標になる」と通達した。政治教育は「社会科」と
名付けられ、平和の美徳、平和主義の知恵、侵略の悪を小学1年生から植え付けた。』
・『1946年1月、マッカーサーは、ワシントンの陸軍省宛に電報を打った。
「日本の教育制度の再建は、占領行政の中で優先される。
推定1800万人の生徒、40万人の教師、4万の学校は、占領使命を全うするための
主要な道具なのである」』
・『1947年3月31日、新憲法に盛られた理想を学校教育で補強するために、
「教育基本法」が公布された。
「教育基本法」は、マッカーサー憲法と同じようにアメリカ製である。』
・『日本でマルクス主義史学を樹立した第一人者「羽仁五郎」氏率いる左翼の全日本教員組合が
日本教職員組合(日教組)へ発展していく。』
・1945年6月23日 ロバート・キング・ホール中尉が執筆。
『軍事占領下の日本では、カタカナだけに統一すべきだ。漢字で書かれたものは
禁止すべきである。』
その後、ローマ字に変更するよう変心。
『初等及び中等学校教育で、速やかにかつ完全にローマ字に変えることが極めて
望ましい。』
・書道は必須科目であったが、選択科目に格下げされた。
・柔道・・・GHQ・CEIにより軍国主義的として禁止されていたが、1950年9月13日に
学校で教えても良いとの許可を出す。
・『マッカーサーは、1949年11月末になっても、日本はいかなる軍事力も持つ必要は
ない、と断言していたが、突然、1950年元旦、憲法第九条の新解釈を提唱した。』
・『1950年1月1日、マッカーサーはアメリカ政府の承認を受け、
日本国憲法第九条は自衛の権利を奪うことはできず、またこれを否定しないと言明した。
日本は、アメリカの最前線で要塞になるべきだ。それによって日本が自国を護ることにも
なる、と言う。』
・1951年4月11日、マッカーサー解任。
『「マッカーサー元帥解任!」のニュースは、日本は天変地異の大事件となった。
動転したのは吉田首相を始め、全国民、それに日本のマスコミの全てである。』
『解任当日(日本時間、4月12日)の「朝日新聞」の社説「マックアーサー元帥を惜しむ」』
を一部抜粋。
『「日本国民が敗戦という未だかつてない事態に直面し、虚脱状態に陥っていた時、
われわれに民主主義、平和主義のよさを教え、日本国民をこのあかるい道へしんせつに
導いてくれたのはマ元帥であった。子供の成長を喜ぶように、昨日までの敵であった
日本国民が、一歩一歩民主主義への道を踏みししめていく姿を喜び、これを激励しつづけて
くれたのもマ元帥であった」』
・『著名な日本人たちが「マッカーサー神社」を建立としようと話し合った。
・『戦歿者たちを「犠牲者」として憐れむのは、戦後日本でアメリカの「平和洗脳教育」を
受けた者たち、またアメリカの片棒を担いで「日本の平和のために」と言っている偽善者たち
が持っている優越感以外のなにものでもない。
憐れむ前に、戦死していった人たちに、鎮魂の念と感謝の思いを持て。』
・『征服者マッカーサーは、勇猛な日本国民を弱くしなければ、アメリカの国家安全を
脅かされる、と恐怖の念に駆られていた。弱民化する最良の武器は「教育」である。』
・『マッカーサーは、「民主主義」「平和」という言葉を頻繁に使ったが、「平和」の裏に、
マッカーサーの恐怖心、日本民族に対する戦慄感があることを見逃してはならない。
彼は、日本人に平和を望んでいたのではなく、日本人の弱民化を実行していたのだ。
アメリカの国家安全のために、日本人の誇りを潰した。
アメリカに飼い馴らされた日本人は、「誇りの骸(むくろ)」を「平和」と呼ぶ。
アメリカの対日「国家百年の大計」は、既に完成しているのではないか。』
1945年8月30日、厚木に降り立ったマッカーサーは失禁していた。
こちらに詳しく載っています。
http://ironna.jp/article/2747?p=3
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